いたいはなし
※狐設定前提です。前日談はまた後日。


強引に引き倒されて、強かに頬を打ちつける。
何が起こったのか解らないまま、衝撃で飛びそうになった意識を叱咤して立ち上がろうとすると、手を後ろにひねり上げられた。みし、と肩の骨が軋んで、肩口から全身へ激痛が駆け巡る。ぐ、と苦しさに呻くと、引き倒した張本人の嘲笑が、微かに耳に届いた。
「なあ、相棒」
愉悦に満ちた声が煩わしい。彼は、矢張り笑っている。それはそれは楽しそうに。
「骨の1本や2本折れたって平気だよなあ?」
笑いながら、腕に力を込められる。手の生える方向とは逆に、思い切り腕を引っ張られたその瞬間、ごきん、と耳障りな鈍い音がした。
「ぐ…っ!」
馬鹿みたいに痛い。痛いってもんじゃない、気が違ってしまいそうだ。
見苦しくのたうち回るなり、失神するなり出来たらまだ楽だったろうに、痛みに慣れた体は、それだけで意識なんて飛んでくれない。強く押さえつけられた体は、言う事を聞かない。
「お前が暴れなきゃ、肩なんて外れなかったのに」
綺麗に腕折るつもりだったんだぜ?と、物騒な事をさらりと零す。
「は…っ!襲われたら、普通は抵抗するもんだろ!」
痛みを堪え、嘲るように笑ってやった。ぎり、と掴む腕に力が入る。




それは油断だった。
油断どころか、背中を預ける事が出来る相手だったのだ。油断も糞も無い。
日常の中で、戦いの中で絆を深めた友から、こんな仕打ちを受けるだなんて、普通は微塵も思わない。想像すらしない。床に叩き付けられ、訳も解らず無理矢理捻じ伏せられて、暴れない奴なぞいるのか。否、居ないだろう。
「襲った?はは、俺が、お前を?」
また哂う。
「俺はさあ、見て欲しいだけ」
何を?と問えば、また、唇を歪めて笑う。鬱陶しい。
「そりゃあ、俺の事をだよ」
「いつも、見てるじゃないか」
そう言うと、また笑った。一体何が楽しいのか解らない。解りたくもない。
「そういう意味じゃなくて」
「ならどういう意味だ」
どうせ、聞いても聞かなくても、結果は同じだろうけれど。ああ、馬鹿みたいだ。自分も、彼も。
「他の奴なんか見るな。俺を見ろよ。俺だけ」
「…そんなの無理だ」
「解ってる。でも納得できねぇんだよ…」
唇は笑みを浮かべたまま、眉を顰めて俯く。
…理解する事と、納得する事は違うのだと、昔、誰かが言っていた。
「俺の事、見ろよ。構えよ…俺だけで、いいって言ってくれよ、なあ」
ここまでの惨状を作り出した癖に、何て悲痛な声を出すのか。
「お前だけなんて、やっぱ無理だ」
「…俺の事、嫌い?」
「嫌いじゃない。そういうんじゃないんだ」
大切なもの、見ていたいものが、一遍に増えて、まだ一所に気持ちを留めて置けないだけだ。
決して、彼を蔑ろにしたい訳じゃない。
「俺は好き。お前の事…壊したいくらい、好き」
「壊れてるのはお前だろ。俺は勘弁願いたいね。まだ壊れたくは無い」
掴まれたままの腕に、また力が入る。
「…折るのか?」
「もう、折らねえよ」
唐突にぐい、と腕ごと体を引っ張り上げられて、肩に激痛が走る。
「馬鹿、やろ…っ!外した方引っ張るな!」
この凶事を免れた左手で、矢張りにやけていた顔を、思い切り引っ叩いてやった。ざまあみろ。
怯んだ隙に右手を振りほどけたら、とは思うけれど。
「ごめん、痛かった?」
「痛いに決まってるだろうが!」
叱られた犬みたいな顔をされると、弱かった。
正直この状況で弱いとか、弱くないとか何て、関係ない。命に関わる恐れだってある。絆されてはいけない。
「何でお前がそういう顔するんだよ馬鹿花村」
そんな顔をしないといけないのは自分の方だ。
「馬鹿じゃねえよ!」
「じゃあアホ」
「アホでもねえ!」
「別にどっちでもいいけどさ」
「良くねえよ!」
馴染みのある応酬に、少しだけ胸を撫で下ろす。このまま事態が収束してくれれば儲けもの。…まず状況的に、収集はまだ付かないだろうが。
否、付くのかどうかだって解らない。
「どっちでもいいだろ、そんな事。…今聞きたいのは」
「何、だよ」
ちらりと目を見ると、たじろぐ。
別に責め立てる気は無いが、彼を見つめる目線が、自然厳しくなるのは否めない。
そりゃあ、傷物にされては、欠片も恨まないなんて事の方が、不自然だろう。少なくとも、自分はマゾヒストではない積もりなのだから。
「あんだけやっといて、何でお前がそんな顔するのかって事」
「それは、さっき言ったじゃねえか。お前の事、好きなんだって」
「壊すか好いてくれるか、どっちかにしてくれ」
そういうと、ぐ、と言葉に詰まって目を逸らす。
「ど、どっちかったって、お前だって答えてないぞ。答えろよ」
「ああ、そうだっけ?」
「そうだよ」
「答えた気がしたんだが」
「…嫌いじゃない、しか聞いてねえ」
あえて曖昧にぼかした部分を突っ込まれた。
その答えでは不満だと、明るい鳶色の目が訴えかけてくる。
「それって答えにならない?」
「俺的には、なんねえよ」
非常に答えにくい、というか応えにくい。…不本意ではあるが、互いに後ろ暗い事を見せ合った仲であるし、彼が大切なのは確かだが、恋慕のそれかと言われたらそうでもない気がする。
「好きかって言われたら、正直解らない」
それはそうだ。今まで一度も、そんな風に意識したことが無かった訳なのだし。というか普通はそういう風に意識しないものだと思っていたのは自分だけか。高速で変形崩壊していく、色々な事象に着いて行けない。
「…そっか」
「ああ、いやお前の努力次第だと思う。多分、恐らく、きっと。あと急ぎすぎ」
まだ自分の心は定まりきっていないのだし、希望はあるかもしれないぞ、と丸く収まりそうな方向に、必死に誘導する。
「俺、急ぎすぎかな。結構待った気がするんだけど」
緩く唇をかみ締めて、じっと見つめられる。その視線に、何故か胸がちりちりと焦がされる気がした。
「だって、相棒他の奴の事ばっかり、構ってた」
渇望混じりの声に、やはり胸がちくりとする。
「俺、ちゃんと解ってるつもりだった。相棒、特別なものがたくさんあるんだって」
「はな、むら…?」
「でも、その目で他の奴見てんのも、想像するだけで嫌になっちまった。俺、やっぱおかしいよな?」
熱に浮かされたような目をして、縋るようにこちらを見てくる。掴まれたままの手に、また力が籠められる。
「…うん、おかしいな」
「そうだよな、おかしいよな」
はは、と先刻までとは違う、乾いた笑いを漏らして俯いた。掴まれた腕が、何故か熱く感じた。
「おかしいのは解ってる。こうやって酷い事してんのだって、ぶっちゃけ異常だよな」
「解ってんなら程々にしとけよ」
ぽつりと零した言葉に、小さな声でごめん、と返してくる。また焦燥が募った。
「程々、だぞ」
…自分は何を言おうとしている。取り返しの付かない言葉を、一線を飛び越える一言が、口から飛び出てしまいそうだ。
馬鹿だ、本当に馬鹿みたいだ。何故拒めないのかだって、自分じゃ良く解っていない癖に。
「はい…」
叱られてしょげた犬の風情を漂わせながら、ぎゅう、と頭を胸に押し付けている彼の頭に、一線を越えてしまう言葉を降らすべく、口が勝手に動き出す。
「命まで取らないと約束するなら、今この時間だけ、程々に好きにしていい」
甘い事この上ない、馬鹿げた一言。
「は?」
「…よし、もう言わない。聞いてなかった方が悪い。今の無効な」
「聞いてた!聞いてました!」
人肌で程よく温まった胸から、がばりと勢い良く頭を上げると、焦れったそうに叫ばれた。
その様が、先刻までの彼がまるで嘘だったみたいに子供っぽく見えて、その差異に眩暈がする。この違いは一体どこから来る物なのか、見当も付かない。
「でもお前、いいのか?」
「今更かよ。別に、逃げようと思えばいつでも逃げれるし」
「…逃げるのか?」
「お前こそ、本気で逃がさないつもりだったら、腱切った方が早い事くらい解ってるだろ」
ぽつりと呟くと、目を丸くして、ああそうだなあと含羞まれた。
「そこ、笑う所じゃないな。怖えよ馬鹿花村」
にやりと唇に笑みを刷いて、挑発するように軽口を叩く。
「こんな出来損ないの畜生でも良いなんて、お前とんだ変態だよな。このキチク」
「鬼畜で結構。俺だけがお前の秘密知ってるってのが、すっげえ気持ちいいんだよ」
だからそれでいい、と微笑まれた。
ああ、可哀想な奴。
「出来れば、その目も俺以外見ないでくれると」
「調子に乗るな」
利き手が無事であったなら、ただでは済まさなかったとばかりに睨みつけてやると、剣呑な笑みを浮かべて呟いた。
「狐狩りも、楽しいかもしれないなあ」
不気味だったので、無事な両脚で蹴り飛ばした。
「やっぱ無しで」
「…すみませんでした」




前日談で補完したいところ=お前の秘密
2008/12/9・2010/4/9